ファッションディレクターのエリザベス・プラットが、10月24日までパリのアズディン・アライア財団で開催中の展覧会「Alaïa Before Alaïa: The Genesis of A Style(アライア以前のアライア:スタイルの起源)」をレポートします。

慎みと魅惑

ルイーズ・ド・ヴィルモラン(Louise de Vilmorin)

“私は彼女から、パリジャン・シック(パリの粋)が精神性であることを学んだ”

小説家であり詩人、ジャーナリストのルイーズ・ド・ヴィルモランは、クチュリエとしての才能を自分のために発揮してもらうためにアライアの後援者となりました。そしてアライアはルイーズと共に、パリジャンのエレガンスを見出していきます。襟を閉じ、背中にボタンを留めた、カッティング以外に装飾も模様もない質素なドレスは、ルイーズ・ド・ヴィルモランの下で磨かれた審美眼と学びによるものです。

アズディン・アライアのコレクションは、魅惑的で大胆なロングスカートやショートスカートと、首元までボタンを留めた知的なカーディガンやベストのコントラストが特徴的です。ルイーズの服の多くは、奔放なペチコートと生真面目なボディスが組み合わされています。この巧妙なバランスは、パリに来たアライアが出会い、彼の人生に決定的な影響を与えたルイーズ・ド・ヴィルモランから教えられたものなのです。

“私を可愛がってくれたルイーズは、いつもテーブルで私を隣に座らせました。小さなチュニジア人の私が、アンドレ・マルローやオーソン・ウェルズ、セザール、ルネ・クレールといった人々と一緒に食事をしたのです。当時はそれが普通のことだと思っていましたが、後に、彼らが偉大な人々であることを知りました”

身体の補正

“私は常に、身体を強調するカッティングを心がけています。服は身体のバランスをとるためにあるのですから”

アズディン・アライアは、とても細いウエストを持つ友人、ラティファを実験台にしていたと語っています。彼は彼女の身体の上で直接スカートを縫い合わせ、その効果を見るために最大限の工夫を凝らしたのです。

3人のミューズ

ラティファ・ベン・アブデラ(Latifa Ben Abdellah)

チュニジアの大家族に生まれ、ジェラル・ベン・アブダラの妻である社交家。ラティファはとても美しく、友人のレイラ・メンチャリと同じくチュニジアの名家出身でした。彼女は、ファッションと「チュニジアの夜」の女王だったと言えるでしょう。彼女は輝いていました。アライアが彼女のためにドレスを作り始めると、友人たちもそれに続きました。ラティファがアライアの素晴らしさを皆に広めたのです。

レイラ・メンチャリ(Leila Menchari)

“夢を生み出すには、多くのものを純化し、合成し、うまく発展させる方法を知らなければなりません。そして、自分の作品の職人であり続けることがとても重要です。この技術的な仕事こそが、夢を完成させ、人々の目に触れ、手に届くものにするのです”

ズリカ・ポンセン(Zuleika Ponsen)

長い間、アライアはすべてのフィッティングをズリカと一緒に行い、彼女から多くのインスピレーションを受けています。

ニットの快適性

1988年、ミシェル・トゥルニエは「伸縮性のあるニットで、アライアは、自由でありながら身体にぴったりとフィットさせたいという、女性の矛盾する幻想に応えることができた」と書いています。ズリカは、アライアが新しい作品を制作する際に好んで起用したモデルでした。彼女をモデルに制作された、アライアの初期を代表するこのドレスは、その後の成功を予感させます。

“建築と裁縫の共通点はプロポーションだと思います。しかし、私にとって建築はアートであり、クチュールはクラフトなのです。クチュールは女性のためのもの。女性がドレスを着て心地良いと感じ、そして何よりも女性がドレスを纏って生きていけるように、私はドレスを着せなければならない。これは、女性とクチュリエの共犯関係なのです”

タイムレスなアイコン

メンズコート

アライアは度々、グレタ・ガルボのためにデザインしたメンズコートについて語っています。この1988年のコートのように、ウールのラペルとウエストバンドの下には、常に創造主の記憶が宿っているのです。

“彼女は、男性用のオーバーコートのように大きなコートを欲しがっていました。そして後に、私がそのコートを着ることになったのです”

白シャツ

白シャツは、アズディン・アライアが好んだ典型的なスタイルで、シーズン毎にアレンジされてきました。日常着であるシャツに、タイムレスなアクセントを加えて磨きをかけています。

“私のコレクションには、白いシャツが必ず1点以上含まれています”

曲線の強調

中でも特徴的な作品は、ジッパーを巻き付けたように曲線を強調したこれらのドレス。アライアは、映画「北ホテル」でアルレッティが着用した、アシンメトリーなプラケットのドレスが、後に彼のシグネチャーとなるドレスにインスピレーションを与えたと語っています。

“身体を包むジッパードレスは、彼女が「北ホテル」で着ていたドレスから生まれました”

ボディを見せる

アズディン・アライアは、テーラリングの分野でも、一般に「ル・フルー(身体にフィットしない落ち感のある服)」と呼ばれる分野でも、同等の高度な技術で自分を表現する数少ないクチュリエの一人です。1932年の映画「暴君ネロ」でクローデット・コルベールが着用した衣装を再現したこのドレスのように、様々な形で身体を美しく見せるアライアは、素肌の上にヴェールを広げ、露出することを恐れないのです。

アズディン・アライア財団では、10月24日まで「Alaïa Before Alaïa: The Genesis of A Style」展を開催しています。

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